【回顧録】 昔の暮らしの再利用とリサイクル

今の若い子たちはわからないと思うが、昔は、通貨(円)が安く、輸入関税も高かったので、ほとんど全ての物や資源や材料が高かった。

なので、使い捨てる物は今よりも多くなく、ほとんど物再利用リサイクルされていた。


量り売りが多かった

現在のスーパー(小売店)のスタイルが日本全国に定着するまでは、殆どの人が、小規模零細の小売り店で食べ物や飲み物を買っていた。

その為、食べ物や飲み物などの販売方法も、大型スーパーの陳列方法とは違う形のものが大半だった。

現在でも肉屋さんでは量り売りしているところが多いが、昔は、味噌の量り売りもあったし、漬物の量り売り(またはバラ売り)も普通にあった。
(京都の市内では、現在でも量り売りしているお店がある)

買う時は、店員さんが計量器で量りながら、ビニール袋の中に量り売りする食べ物を入れ、その後、新聞紙包装紙くるりと巻いて渡してくれた。

新聞紙や包装紙は、生ゴミを包んだり、古紙回収で出したり、揚げ物料理の下敷きとして利用した。
(お皿に盛る前の揚げた直後の時)

ビニール袋の方は、洗った後、ゴミ袋などとして再利用している人も居た。


肉は経木と包装紙

肉を包むのは『 経木(きょうぎ) 』と呼ばれる木製の厚紙のようなものだった。
木を薄く削ったもので、厚紙のように利用できた。



その中に肉を入れ、さらに包装紙か新聞紙で包んで、輪ゴムやセロテープでとめていた。

現代では、経木もどきの防水性の紙を使っているお肉屋さんはあるが、本物の経木を使っているお肉屋さんはほとんどいないと思う。


魚も新聞紙包装

包装紙や新聞紙包まれていることが多かった。
こうすることで、魚から出る血や水が流れ出にくくなった。

現在では、肉や魚の下には、ドリップが流れ出ないよう、使い捨てのスポンジが敷かれていることが多いが、そう言うスポンジがない時代には、こうやって魚を包んでお客さんに手渡ししていた。

魚の内臓やアラやウロコなどは、魚を包んでいたその包装紙に包んで捨てれば効率的だった。
(内蔵や血が散らばりにくい)

現在では、殆どの魚がプラスチックトレーか、発泡スチロールトレーに入れて販売されているし、スーパーの鮮魚コーナーで魚の下処理をしてもらうと、処理が終わった魚はプラスチックトレーの中に入れられ、丁寧にラップで包まれた状態で渡される。

こう言うのを見るにつけ、本当に時代が変わったなあと思う。


野菜は新聞紙包装

バラバラになりやすいきゅうりなどの野菜は、新聞紙で包装されることが多かった。
袋状に加工された新聞紙もあり、栗などの小さいものもそうやって簡単に包むことができた。

現在でも昔と変わらず、八百屋さんや果物屋さんは対面販売だが、昔は新聞でクルクルっと巻いて、そのまま買い物かごに放り込んで終いだったようなものでも、ちゃんとビニール袋の中に入れてくれるようになった。


ビン売りで再利用

昔は、とにかく何でもかんでもビンが多かった。

醤油日本酒一升瓶で売られていた。
今の人は、一升瓶なんて重いのでありえないとか思ったりもするが、実際に使う時は、ロートを使って小さめのビンに移し替えて使っていたし、酒屋さんに注文したら家まで届けてくれたので、そんなに苦ではなかった。

使用後の一升瓶は、酒屋さんがお酒やみりんなどを配達しにきてくれる際についでに回収してくれたので、使用後の一升瓶の処理も楽だった。

酒屋さんが回収した空き瓶は、製造メーカーに差し戻され洗浄・殺菌・消毒したあとで、そのまま再利用されていた。

ビールも缶ではなくだったので、ビールを飲んだ後は、酒屋さんがビール瓶を回収しにきていた。

ビール瓶は、ビール用のケース(箱)に入れて販売されていた。


それは、1ダース20本入りのとても重い箱だった。
でも、酒屋さんはいとも安々と、その重い箱を持ち運んでいたのを記憶している。

瓶入りのビールを飲み終えた後のビンは、軽く洗った後で、その箱の中に収めていく。

そして、全部の瓶ビールが空になったら、酒屋さんに新しい瓶ビールを注文し、空のビール瓶入りのビールケースと、新しいビールの詰まったビールケースを交換した。


ビンビールをケース(20本入り)で注文
  ↓
全部飲む
  ↓
酒屋さんに連絡
  ↓
酒屋さん到着
  ↓
新しいビンビールを、ケースごと買う
古いビンビールは、ケースごと引き取ってもらう
  ↓
以下エンドレスに続く・・・


酒屋さんに回収されたビール瓶は、これもやはり洗浄・殺菌・消毒した後で、再度ビール瓶として再利用されていた。

ジュースの方も、缶やペットボトルではなくビンだった。
ジュースも一緒に取り扱っている酒屋さんの場合、お酒と一緒にジュースも注文すると、一緒に届けてくれた。

ビンジュースの方も、ビンジュース用のケースに入れられており、空のビンだけになれば、新しいジュースを注文して届けてもらい、空のビンだけ入ったケースは酒屋さんに回収してもらった。


ビンジュースをケース(24本入り)で注文
  ↓
全部飲む
  ↓
酒屋さんに連絡
  ↓
酒屋さん到着
  ↓
新しいビンジュースを、ケースごと買う
古いビンジュースは、ケースごと引き取ってもらう
  ↓
以下エンドレスに続く・・・


駄菓子屋さんや飲食店で飲むビンジュースも、元はケース入りの物が大半だ。
それを何本か出して冷蔵庫の中に入れて冷やしておき、お客が注文するとその冷たいジュースを出した。

このジュース用のビンも、回収された後は、洗浄・殺菌・消毒した後で、再度ジュース用に再利用された。

ビンのリユースの流れの中で、酒屋さんの存在は非常に大きかった

牛乳やコーヒー牛乳もビンのものが多く売られていた。
学校給食の牛乳も牛乳屋さんの配達する牛乳も、ビンのものが多かった。
(脱脂粉乳の後の時代の話)

昔から、紙パックの牛乳は多かったが、駅の売店ではビンの牛乳やコーヒー牛乳が主流だった。
(今でも、牛乳屋さんが配達する牛乳であれば、瓶の牛乳が買えることがある)

牛乳ビンも他の瓶入りの調味料や飲料品と同様に、洗浄・殺菌・消毒した後で、再利用されていた。

このようなビンのリユース(再利用)は、一旦、ガラスを溶かして再度ビンを作り直すわけではないため、ビン製造にかかるエネルギーは非常に少ない。

当時の人からすれば、醤油がペットボトルに入れられ、そのペットボトルは再利用されなければ燃えるゴミ(燃えないゴミ)と言うのは、とても考えられないことだろうと思う。

でも、現在では、軽くて持ち運びができることが再利用よりも重要になったため、多くの瓶入り商品がペットボトルや缶に置き換わった。

事実、もし今、1ダース入りのビールビンのケースが家にあったとしたら、腰痛で掃除ができずに困り果てていると思う。


小売店の包装の仕方

昔は、食品も新聞紙やビニール袋で包んで売られることが多かった。
店員さんが手際よくクルクルと包装して、手渡ししてくれたものだった。

なので、プラスチックトレーの量今よりもだいぶ少なかった。

包装に使われたビニール袋は、ゴミ捨ての時などに再利用し、新聞紙や包装紙は古紙のリサイクルや、生ゴミを包んだりするのに使った。

現代では、新聞紙やビニール袋で包んで食品を販売してしまうと、不衛生だとか、インクが付いて健康的に良くないだとか言うので、敬遠されてしまうかもしれないが、昔は、こう言うことが普通に行われていた。

デパートの場合は、デパートの包装紙で包んでもらえた。
デパートの包装紙で包まれた食品を見ると、何となく特別な気分になった。

今では、プラスチックトレーが定番の豆腐も、豆腐屋さんが家の近くにきたらを持っていき、豆腐を鍋や皿に入れてもらったりしていた。
(豆腐をお店に買いに行くときも、鍋や皿を持っていった)


賞味期限の表示がない

現在主流の発泡スチロールトレーでは、包装用のラップの上から、消費期限などが書かれたシールが貼り付けられている。

肉や魚を買う度に、それらのラップとシールのゴミが出る。

でも昔は、対面販売がほとんどで、消費期限などが書かれたシールなんてものは貼られていなかった。

ただ、100g辺りの値段(お買い得の表示はあったと思う)だとか、商品ジャンル(小アジや手羽先やリンゴなど)が書かれた紙が表示されているだけだ。

なので、どのお店で何を買うのかは、料理を作るお母さんたちにとっては腕の見せ所だった。
(肉質、衛生状態、値段などの諸々の事も考慮しつつ、最も良さげなお店で買う必要があった)


レシートがない

昔は、レシートなんてものはなかった。

また、冷蔵庫の性能がよくなかったし、冷蔵庫の庫内も狭いので、買い溜めはできない

そこで、チマチマと細かく買い物にいかないといけないわけだが、各零細小売店での食品購入で、一々レシートを受け取っていては面倒くさい。

毎日のように買い物にいかないといけなかったし、一日のうちに何軒もお店をはしごしなければならないことだって多かったのだ。

誰もレシートは欲しがらなかったし、レシートなしで会計されても、特に不満は出なかった。

恐らくだが、魚屋さんや八百屋さんなども、山ほど来る少額購入しかしないお客さんに、一々レシートを切るのは面倒だっただろう。

ちなみに、魚屋さんや八百屋さんの天井からは、お金が入った水切り用のザルゴムでぶら下げられており、会計の時はその網を手繰り寄せ、お釣り用のお金を取り出したり、受け取ったお金を放り込んだりしていた。



当時の私は、その様子がおかしくて、八百屋さんや魚屋さんに買い物についていくのが楽しかった。


ビニールの買い物袋がない

デパートでは紙袋をくれたが、普通のお肉屋さんや魚屋さんや八百屋さんなどでは、贈答品などの特別な場合を除いて、紙袋などはなかった。

なので、かならず手提げかばんを持っていっていた。
今のように、布製のペッタンコの買い物カゴではなく、籐製で頑丈で幅があり、中の物がつぶれにくい買い物かごだった。



今のように、何を買っても、下手するとガムや缶ジュースを買ってもビニール製の買い物袋をもらえるような時代じゃなかったので、買い物に行くときには買い物カゴは必須だった。

上の買い物かごの画像は、うちの実家に実際にあった感じのものだ。
この買い物かごに、買ったものを色々と放り込んでいった。

昔の幅が大きいこう言う買い物かごは、今の買い物かごとは取っ手の付き方が違う
こう言う取っ手でないと持ちにくいので、こう言う構造になっていた。

デパートの服飾品の包装の仕方

昔は、今よりもずっとリユースだのリサイクルだのすごかったのだが、デパートの服飾品の包装はそれとは真逆の方向にすごかった。

とにかく、凄まじい包装をするのだ。
3重包装とか普通にされていた。

外側にデパートの包装紙、内側に服を入れてある箱、さらに、服がビニールで覆われているものもある。
そして、さらに服と服の間には薄紙が挟んであったりもする。

ガッチリ包装された服を、自宅に持ち帰りやすいように、さらにデパートの紙袋に入れてもらえたりもした。
(この紙袋や包装紙が、デパートの隠れた宣伝になっていた)

そんなこんなで、服単体よりも、それを包んでいる包装が凄まじかった記憶がある。

でも、それが特別な買い物をしたのだと言う意識に繋がったのではないかと思う。
店員さんも特別に丁寧な対応をしていたし、包装も特別。

自分は特別な場所にお買い物をしにきていたと言う感覚があった。
(私は幼かったのであまり覚えていないが、少なくとも母はそのように感じていたようだ)

でも、そんなデパートの包装は、リサイクルが叫ばれる中で、『 過剰包装 』としてやり玉に上がるようになった。

マスコミからのバッシングは猛烈だった。

過剰包装も何も、デパート側は、お客様たちが自分たちは特別な場所に買い物に来ているのだと言う雰囲気作りのために行っていたので、それを無くして簡素化してしまうと、デパートの存在意義が薄れてしまう。

当時、デパートはかなり渋っていたようだが、過剰包装とのバッシングが激しく、結局、簡易包装の方に舵を切ることになってしまった。

中国人の爆買いもしぼみ、デパートは徐々に苦境に立たされてきているが、こう言うのも理由の一つにあるような気がしてならない。


回顧録

私は、ゴミのリサイクルの話を書いていて、どうしても昔の生活やお買い物について書きたくなってしまったので、ついつい1ページ費やして書いてしまった。

私のような一般の名もない人間でも、こう言う時代があったのだと書き残しておくことで、何かしらの記録が残せれば幸いだと思う。


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